文章を書きたくなる時はいつも仄暗い

インターネットでいろんな人のブログや日記日々の記録を前はたくさん見る時間があったのに、最近は仕事仕事でそんなこともしなくなってしまった。

 

ふと思い出してひっそり見てたブログを見るといつのまにか会ったことも話したこともないブログの投稿者が結婚していたり(実はひっそり応援していた)、恋人ができていたりして移ろいゆく日々をしっかり生きてるんだなと思うと共に、何も変わっていない自分に少しショックをも受ける。

 

毎日毎日同じようで違う日々なのに私はずっと同じ場所にいて、ふらふらと自分の居心地のよさそうな場所を見つけるたびに違う、違うと旅人のように転々とした生活をしている。もちろん精神的な話なのだけど。

結局そういうところで自分を曝け出したら人と向き合うということが死ぬほど怖いだけなんだよな。

 

高校生時代私は小説家の豊島ミホさんが好きだった。

今は小説を書くのも辞めてしまったのだけど、暗くて地味で鬱屈としていてそれでいてきらきらと輝く文章を綴る彼女の言葉が日々の救いだった。

彼女がとあるエッセイか何かで「わたしの人生はポキポキと折れたパスタの芯のようだ」というようなことを言っていて、わたしが彼女の文章に入り込めたことはこういうことなのかもしれないと思った。

 

彼女は文章をずっと書き続けなかった。

でもその時にしか書けない彼女の鋭い言葉があって、それがピンポイントの人たちに刺さっていたこと、その当時の救いになっていたことは間違い無かった。

 

14歳くらいからずっとこういう精神性で自分が自分として人の前で振舞えてたことってあるんだろうか。ないな、ないな。

そういうわけで自分のことを人に分かってもらいたいと思う反面、やはり私はしばらくはずっとこのままなのかもしれない。

見ず知らずの人やもう今後会わないだうなという人の前でだけ気丈に素直に振舞って別人のようになる日々をこらからも繰り返すだろう。

 

どれだけ心理学の本や哲学の本を読み漁っても知識が増えるだけで身にはなっていないことをひしひしと感じる日々だ。