全然知らない人と旅行に行きたい話
あっという間に12月になってしまった。
毎日毎日仕事づくめで社会人ってほんとうに偉いなあと思う。(かくゆう私も社会人)
最近年が終わるまでに旅行に行く計画をひとりで立ててるんだけど、ひとりだとやっぱり寂しいかも と思って友達を誘うか?とも思ったんだけど、近場でなかなか誘える友達なんていないなあと少し寂しくなってしまった。
それならこういうのはどう?
全然知らない人と旅行に行くってのは。
......と考えたんだけど発想が突飛すぎるし、そもそもそんな危なっかしそうな人間をどこから連れてくるんだって当たり前の考えに持ち直した。
こわいのは嫌なんですけどね、未知なのはワクワクしますよね。
結局そんな行動力もないからこうやって妄想して終わるわけなんだけど。
全然知らない人と全然知らない土地へ行きたい って相当自分、疲れてるのかなあとも思うんだけど、みんなそんな発想になることってないんだろうか?
昔から会ったことも行ったこともないような土地や場所に幻想を抱きすぎなのね。
毎日のように仄暗い夢を見る
仄暗い夢を見る時は大体わたしが昔住んでいた町が舞台で、それもかなり嫌なイメージを膨らませて出来上がった記憶の中の町になっている。
わたしの家の玄関のドアはすりガラスみたいになってい。
うっすらと向こう側に立っているその影は明らかに人ではなくて、入ってこれないようにってドアの鍵を閉めようとするんだけど無理やり開けて得体の知れないものが家の中に入ってこようとする。
同じ夢を何度も、何度も。
得体の知れないものがいなくて外へ出ていても、町の天気はいつもどんよりと曇っていてわたしの家から連なってる坂道は実際の坂町よりもうんと長くて道を走っても走ってもどこへも辿り着けない永遠の坂道になっている。
高校生の時に残ってた自分の気持ちやわだかまりみたいなものが今ではずいぶん解けたはずなのに、いまだに自分の心はあそこにあるみたいで良くないなあと思う。
京都に住んでた時の家は一度だけ出てきて、今住んでいる自分の家はまだ一度も出てきたことがない。
過去が現実になるってことなのか、嫌な過去でも恋しく思っているから出てくるのかはよくわからない。
その時その時を生きてる時って、いつもあまり実感がなくて過去の方が現実を感じれるからそうやって現実を生きようとしてるのかも、とも考えたりする。
ひとりの時間こそ素直な時間
タイトルがすごく何かの自己啓発系的なタイトルになってしまった。
ふと最近気づいたことがあって、それはひとりで文章を書いてる時の自分が一番素直だなってこと。(当たり前だけどようやく気付いた)
会話でも人との電話でダメで、誰かに何かを伝えたい時 自分は一番文章を書くのがしっくりくる。
人と会話してると人の会話に飲み込まれてなかなか自分の言葉が言えない。
でも面と向かってじゃなかったら自分の言葉で伝えられる。
それは自分のペースで考えられる余白があるから。相手の表情を読んで発言しなくてもいいから。
文章と向き合ってる時は心が落ち着きことにようやく気付いた。
twitterとかじゃなくて長めの文章がいい。
仕事が溜まっていてもこうやって文章に知ることは大事だ。
文章を書きたくなる時はいつも仄暗い
インターネットでいろんな人のブログや日記日々の記録を前はたくさん見る時間があったのに、最近は仕事仕事でそんなこともしなくなってしまった。
ふと思い出してひっそり見てたブログを見るといつのまにか会ったことも話したこともないブログの投稿者が結婚していたり(実はひっそり応援していた)、恋人ができていたりして移ろいゆく日々をしっかり生きてるんだなと思うと共に、何も変わっていない自分に少しショックをも受ける。
毎日毎日同じようで違う日々なのに私はずっと同じ場所にいて、ふらふらと自分の居心地のよさそうな場所を見つけるたびに違う、違うと旅人のように転々とした生活をしている。もちろん精神的な話なのだけど。
結局そういうところで自分を曝け出したら人と向き合うということが死ぬほど怖いだけなんだよな。
高校生時代私は小説家の豊島ミホさんが好きだった。
今は小説を書くのも辞めてしまったのだけど、暗くて地味で鬱屈としていてそれでいてきらきらと輝く文章を綴る彼女の言葉が日々の救いだった。
彼女がとあるエッセイか何かで「わたしの人生はポキポキと折れたパスタの芯のようだ」というようなことを言っていて、わたしが彼女の文章に入り込めたことはこういうことなのかもしれないと思った。
彼女は文章をずっと書き続けなかった。
でもその時にしか書けない彼女の鋭い言葉があって、それがピンポイントの人たちに刺さっていたこと、その当時の救いになっていたことは間違い無かった。
14歳くらいからずっとこういう精神性で自分が自分として人の前で振舞えてたことってあるんだろうか。ないな、ないな。
そういうわけで自分のことを人に分かってもらいたいと思う反面、やはり私はしばらくはずっとこのままなのかもしれない。
見ず知らずの人やもう今後会わないだうなという人の前でだけ気丈に素直に振舞って別人のようになる日々をこらからも繰り返すだろう。
どれだけ心理学の本や哲学の本を読み漁っても知識が増えるだけで身にはなっていないことをひしひしと感じる日々だ。
自分の中に何人か自分がいる
仕事をしていて気づいたら誕生日を迎え、またひとつ歳をとっていた。
前まで自分の誕生日ってすごく特別で前日からドキドキしていたのに、働き始めると誕生日だからってドキドキすることもない。(それ以上に働いていればプレッシャーでドキドキしっぱなしだ)
「何を考えてるかわからない」と言われることが結構な頻度である。
あまり感情を表立って出せないのが原因なのかもしれないけど、わたしも自分が何を考えてるかよくわからない時がある。
仕事上の真面目な自分 失敗した時に他人のせいにしたくなる無責任な自分 家に1人でいる時のだらしない自分 絵を描いてる時のその世界に入っている自分
どれも自分なんだけど、自分でも自分をコントロール出来ないことがよくある
振り幅が常に大きい。
周りの人たちを見ていると、みんなちゃんと自分をコントロールしていて偉いなあ と思うけどそういう自分をコントロールできてるように見えてる人って自分の意思をあまり持っていないように見える。
こうやって文章を書いてる自分がわたしにとっては一番しっくりくる自分だから、これが自分なんだと思う。
誤解されてることがよくある。愛想を良くしてると何も考えてない馬鹿な人間みたいで本当にわたしは嫌なんだけど、愛想ふりまきながら自分をしっかり表現できるほどのキャパを持ち合わせていないのでいつももどかしい。
自分を現実世界で表現しようと思うとスーパー無愛想な人間になってしまう。
そんなものなのかなあ、実は とか思ったりもするけど。
相変わらず今日も思春期っぽい日記になってしまった
気づいたら1年と3日 うみべの女の子を読んだ話
わたしが最後の記事を更新してから気づいたら1年と3日が経っていた
この1年は自分にとって激動の1年だった
転職したり、付き合う人が変わったり、ライフスタイルが大きく変わった。
と共に自分がやりたいことや、やるべきことに対しても少し真面目に考えだした年だったかもしれない
東京に来て久しぶりに漫画喫茶に行った。
今更?って感じなのかもしれないけど「うみべの女の子」を初めてちゃんと読んだ
小梅を好きな磯辺 三浦先輩に振られた当てつけに磯辺を利用して寂しさを埋めようとする小梅
これが、田舎で巻き起こる中高生の複雑な人間模様を描いた漫画なんだけど、中高生でここまで考えてる子たちって少ないかもって自分の学生時代を振り返って思った。
中高生ではなくとも同じような経験をして共感できる人はきっといるはず。
こういう経験をしていても、それを相手に言葉として言えなかったり我慢したり飲み込んだりした経験がある人って多いんじゃないだろうか。
それを漫画ではちゃんと言葉としてお互いぶつけ合っていてストーリーが展開されていくところが気持ちよかった
最初は小梅に好意を抱いていた磯辺と寂しさを埋めるために磯辺を利用していた2人の関係性が逆転していくところもアァ〜...って思ってしまった。
好意にたわけてあぐらをかいていれば、いつかは見放されるのよね。
でも自分が相手への好意に気づく時にはもう遅いっていう。
人間の感情って複雑なもので、相手が自分の手元から去っていく時に自分の気持ちに気付いたりするものだから薄情だよなあと思ったりもするけど。
一度読んだだけでは登場人物の心の動きとか、掴んでも掴みきれないから何度も読みたいと思った。
あと漫画の中に出てくる音楽 はっぴいえんどの「風を集めて」 爽やかでいい曲だな
こういう経験を得て何も知らない顔で大人になってる人って少なくないのかもしれない
日記はつけなきゃつけていたことさえ忘れる
更新しよう、更新しようと思いつつその時に溜めてたことを別の形で消化しがちなのでなるべくこちらにも書き溜めて行きたい。
更新といえば、最近賃貸の更新通知やら運転免許証の更新通知やらが届いてオオそうか、そういう節目の年なのね、と思った。
わたしは難しくて面倒な書類の手続きが大の苦手なので、ずるずる加減限界まで粘ってようやく最近賃貸の更新を終えた。
そうか、もう東京へ来て2年なのねと少し感慨深くもなった。
初めは2年経ったら今の仕事やめるつもりだったのに、職場の人たちに情を抱き始めているし、なんでも居心地がいいと思い始めちゃってる。
地元から離れ、関西の大学は行き、就職で東京へ来て、その度に人間関係をリセットしてきた。勿論長いこと繋がってる友達もいるにはいるんだけど、ずっと同じ生活リズムの中で変わらないということがわたしにはとても退屈で、会ったこともない話したこともない人たちに思いを馳せては土地を移動する感じ。
会話のリズムの話にも同じようなことを書いたけど、人と人との間に生まれるリズムみたいなものにすごく興味がある。
この人とはこういう話ができる、こういうテンポでも許されるな、とかこの土地の人としかこういう話はできないな、とか。
純粋な知的好奇心なのかもしれない。
だからわたしにとって現状を最新アップデートに!って更新なるものってあまり得意ではないのかもな〜と思った。
コレクションにも近いのかな?
ずっと何処にいても居心地が悪かったから移動し続けてたってことでもあるんだけど、東京に来てから居心地がいいってことの方がずっと多いからこの土地はわたしに合ってるんだろうなと思う。
いつまた東京を去るかはわからないけど東京の日々の生活はしばらく更新し続けるんだろうな。